鍋春菊のメルティング・ポット

アニメだろうが実写だろうがそれがなんであろうが面白けりゃいい!そんなハンパモンのブログ

愛憎

『嫌よ嫌よも好きのうち』という言葉がある。嫌と言っている間は口先だけであり、本当は好意がないわけではない、という意味である。

また、『好きの反対は無関心』ともよく言われる。これは概ね当たっているんじゃないかと思う。

 最近になって、僕はこの心理を理解しつつある。

 嫌いなんだけど、つい見てしまうーー

 好きなんだけど、時折すごくうっとうしい、目障りだと感じてしまう。好きな女の子に「ブス!」と言ってしまう男の子のアレだ。

 

 世の中には、自分が嫌いなものをあえて見て、その悪口を言って溜飲を下げる“アンチ”と呼ばれる人達がいる。そういう人達に対して、正常な思考を持つ人は『嫌なら見なければいいのに』と突っかかるのだが、正論だけれどもアンチの人たちにそう言うのはナンセンスである。

 作品の粗探しや何かにつけて悪口を言うのは実は思いの外楽しいのである。(作者やファンからすればたまったものではないが)

 

 つい最近になって、好きだったのに嫌いになったアニメ作品がある。9人の少女たちが学校でアイドルをやるという大人気の某作品だが、僕はそのアニメを毎週欠かすことなく『くっだらねえ』と思いながら観ている。

 二年前に初めて知ったときは、それはそれは大ハマリした。Blu-rayも全巻そろえたし、ライブにだって足を運んだ。

 暗雲がたちこめたのは一年前程のことだった気がする。ファンのマナーの悪さが露呈し、ほとほと愛想が尽きたのだ。この作品を好きだなど公言すれば、コイツらと同類だと思われかねない。そんな懸念からしばらく距離を置いていたが、今年に入って作中の声を担当する声優で構成されたユニットが最後のライブをやると聞き、また復帰した。

 実際行って満足したし、やはり好きであるという気持ちは否定できなかった。

 そんな僕がまた手のひらを返し、批判をする側にまわっている。その理由は定かではないが、あの頃の熱量は今の自分にはないのは確かだ。

 

 毎週放送されるアニメを見て、何度抗議の文章を送ろうと思ったことか分からない。苦情をすし詰めにして、お中元に添えて送りつけてやろうかと考えているくらいだ。

 しかし、念のために言っておくが、これは至極真っ当な怒りで(自分ではそう思っている)たとえば、アニメ化前と実際のアニメでは性格が違っていたり(特にお気に入りだった生徒会長のキャラクターがクールで優秀な設定だったのに、早くもポンコツ化の兆しを見せている。さらに気に食わないことに、この改変は概ね評価を得ているらしいのだ。まったく腹立たしい!!)

 毎回犬との絡みを見させられたり(最新回ではついにアニメーターが実際に飼っている犬まで出てくる始末。これでは職権濫用もいいところではないか。身内ネタもほどほどにせよ)と、枚挙に遑がないのである。

 

「そんなに言うなら見なきゃいいだろ!!」

 と読んでいる方は思っていることだろう。だが許して欲しい。僕は今のところリリースされたCDは全部買っているし(うち5枚は新たに買い足して布教までしたのだ)舞台となっている静岡県沼津市にも足繁く通っている。

 

 つまり僕は負の感情が上回っているだけである程度は好きなのである。

 好きだからこそ、長年見守っているからこそ出てくる文句というものもあるのだ。

 

 僕が残念に思ったのが、場所によっては賞賛する感想しか許されず(しかもやや無理のある好意的解釈まで見られる)恨み言はひとつとして許されないという風潮が蔓延していることである。(逆も然り)

 手放しで褒めるか、気が済むまで叩くかの両極端の状況で、いくら自分もアンチ寄りとは言え、これでは数少ない良心が痛むというものだ。

 心が痛むと言えば、この記事を読んでいる人ーー某作品が好きでそのつながりで知り合った人ーーとの溝が深まっていくことである。

 この場をお借りして懺悔したいと思う。

「僕はあなたの思っているような人間ではないのです」

 

 今後も半分ファン・半分アンチとして、愛憎入り混じった複雑な感情を抱きつつ応援したり、時には早口で愚痴を言ったりするだろう。何を言われようが、いろんな角度からいじめ続けるつもりだ。

 アンチがいるのは人気の証。悪役がいればこそ、ドラマは盛り上がるというものである。