鍋春菊のメルティング・ポット

アニメだろうが実写だろうがそれがなんであろうが面白けりゃいい!そんなハンパモンのブログ

背中

 身近な間柄で一番話しづらいのが自分の親父だ。

 いつから互いの口数が減ったのか、はっきりとした線引ができないが、けれども心当たりならある。

 

 僕が小学校五年生になろうかという頃、親父の仕事の都合で台湾へ移り住むことになった。当時の暮らしぶりについては割愛するが、中学校二年生の春までの約三年間、僕ら一家は台湾で過ごした。地元に帰れることになったのだが、親父だけはそのまま残り単身赴任という状況になり、自分、妹、母の三人の生活が始まった。もちろん、長期休暇や向こうの旧正月には帰ってきていたし、まったく会っていない、ということはなかった。結局高校へ、大学へ進学して二回生の時にようやく親父は日本へ戻ることになった。とはいっても、上京した僕は部屋を借りて一人暮らしをするようになったので、父と別居ということに変わりはないのだけれど。

 

 去年、僕の住んでいる部屋へ親父が訪ねてきた。アパートの近くで待ち合わせていた。そこにやってきた親父を見て、思わず目を疑った。

 記憶の中の親父は精気にあふれていて、まだまだ働き盛り、なのだが、目の前の親父は頭髪はほとんどが白髪で、シワもあきらかに増えていて、背も縮んでいるように見えた。もう50代なのだから、当然と言えば当然だ。

 でも、やっぱり正直のところを言うと、ショックだった。『老化』という人間ならば必ず訪れる現象を見て、『老けたな』と茶化すことさえできなかった。それに比べたら実家にいる母親の若作りのなんと巧妙なことか。

 

 とりあえず、部屋へ上がってもらった。麦茶を出して、『部屋は掃除しているか』とか『学校はどうだ』とかありきたりな会話を一言二言交わして、それきりだんまりを決め込んでしまった。

 この時、初めて自分の父親との間にある溝が大きく、深くなっていると気づいた。もちろんそれは決して仲が険悪だ、という意味ではない。だけれども親父と向い合って、初めて気まずさというものを感じた。

 何を、どう話していいのか、まるで要領がわからず、なんとかして場をつなごうと『転勤先はどうですか』とか『食べ物は日本の方がいいですか』とかやっぱりありきたりで味気ない会話で終わってしまった。

 

 昔、まだ幼かった頃、僕は親父とどんな会話をしていただろうか。ほとんど記憶に残っていない。つくづく、薄情な息子だと思う。

 大した話はしていないけれど、でも、そのやりとりはまだ活き活きとしていた気がする。

 周りの男友達に聞いてみると、自分の父親との口数が減ってしまったのは、どうも自分だけではないようだった。皆が皆、そっけなく、一定の距離を保ちながら、それを良しとして過ごしている。

 

 この原因のひとつだと考えていることがある。

 それは、「親父の背中を見る」ということが無くなったからではないだろうか。継ぐべき家督もなくなり、人がみな自由に、なりたい自分を模索するようになってからずいぶん経つ。

 親と同じ道をたどるのであれば、問題はなかったかもしれない。子は親の後ろ姿を見て、それを手本にしていく。だが、道を違えたときには、父親は子どもと向き合うしかなくなる。

 向き合ったところで、お互い言いたいことなんてないし、ただモジモジとした時間が過ぎてゆくばかりだ。となれば、あとは黙って息子の行く末を見守るしかなくなってしまう。

 僕の場合、親父のことを知ろうとさえしてこなかった。知っていることと言えば、どこで生まれ育って、どの大学を出て、どの企業につとめて、結婚し、僕の父親となった、というくらいだ。

 親父はあまり、自分を語りたがらない人のようだし、自分から聞くこともできなくて、この関係はいまに至るまでズルズルと続いている。

 

 これは想像の域をでないけれど、きっと親父は“困惑している”。人生の岐路に差し掛かっている息子を前にして、父親として何を為すべきか。

 僕も息子として、親父になんと声をかけていいのか分からない。

 応援すればいいのか、甘えればいいのか、慰めればいいのか、感謝すればいいのか。

 困っている、と伝えるべきなんだろう。僕も、親父も、どうしていいのか分からないと。だけど、この微妙な距離感はきっと縮むことはない。

 

 それでも、僕は時折そんな親父との”つながり”を感じることがある。

 歳をとるに連れ、匙を投げるような適当な物言いが似てきたし、叔母さんからの電話に出ると、親父かと思ったと言われることも少なくないし(顔は母親寄りと言われる)タバコも同じ銘柄のメビウスを吸っている。最近では大河ドラマも見始めた。そのうち競馬も始めるかもしれない。

 (でも残念ながら、頭の良さは似なかったようである)

 

 こうした”つながり”を感じるとき、なんだかうれしくなる。親子というものを強く意識するのだ。

 

 いつか、親父と腹を割って話せる日が来るのだろうか。

 社会の洗礼を浴びて、家庭をもって、親父の苦労をすこしでも理解できるようになったのなら、そのときには『お疲れさん』と言ってあげたい。

 

 親父は家族のために頑張ってエライ、と。