鍋春菊のメルティング・ポット

アニメだろうが実写だろうがそれがなんであろうが面白けりゃいい!そんなハンパモンのブログ

先生

 世の中には、「センセイ」と呼ばれる人々がいる。先生の定義とは、「何かをしていただく」人を指す。たとえば、教師には教えていただく、弁護士には守っていただく、医者には治していただく、といった具合にだ。今回はその中の教師について書きたい。

 

 春季休暇を利用し高校時代にお世話になった中川先生という方に会いに行った。先生には国語を教えてもらった。大山のぶ代さんを思わせるような特徴的な声(これがまた表現しづらい)と独特のリズムをもった、当時の教師陣を思い返してみてもバイタリティにあふれていて、とびきり破天荒な方だ。

 さらに先生は文芸部の顧問もされていて、当時文芸部に所属していた僕は書いた小説を読んでいただいたり、いろいろ相談にのっていただいたりと、大いにお世話になった。

 その中川先生はあの時と全く変わらず、ご壮健でいらっしゃった。一年間も期間が空いてしまうと少しばかり気後れしてしまうところがある。だがそんな懸念はお会いした瞬間に吹き飛んだ。

 

 一通りのあいさつをし、お互いの近況から話ははじまった。僕が卒業した後の文芸部の目覚ましい活躍、従来の伝統をしっかりと継承しつつも、新しいことに手を広げ見事成功させていった新部長の行動力と意志の強さにはおどろくものがあった。これで、文芸部は真の意味での再建と新生を果たしたんじゃないかと思う。

 話題はそんな青春時代を共にした文芸に移った。児童数の低下などが原因で、学校同士の統廃合がなされる際、真っ先に削られるのが文芸部なのだという。どうせやる人はいないだろうと思われているのが理由らしい。たしかに、僕が言うのもなんだが文化系の中でも一番パッとしないというか、どこか暗そうなイメージがある。そしてそれは、作家という職業でみてもそうかもしれない。他の文化系で言うと、新聞部――ジャーナリストは、ハンターの如くスクープを追い求めていて活気にあふれていそうだし、美術部――イラストレーターにしても、世界をいろんな色合いで表現していて楽しそうだ。だがどうにも文芸というものは、ジメっとしていて内向的な人がやる職業のような気がする。

 

 中川先生は、文芸は「自分の中の人間として欠落している部分を抱えた人がやるもの」とおっしゃった。欠落した穴を埋めるかのように、言葉というツールを使って自分の中に世界を創りあげるのだ、と。僕自身、心当たりがないでもない。普通に今自分がいる現実を生きるだけではどうにかなってしまいそうな気がするし、フィクションがなければ生きていけない弱い人間だ。

 とはいえ、当時はもちろんそんな認識があって入ったわけではない。僕が文芸部に入ったのは、元々ゲームのシナリオライターになりたかったからである。あの頃は声の入ったキャラクターたちを動かし、音楽や演出でもって映画さながらの感動体験ができるゲーム、その中核を担うシナリオライターというものに本気で憧れていたし、自分もいつか人の心を動かすお話を書きたいと思っていた。文芸部はその第一歩で、いわば修行のために入部したようなものだった。

 実際入りたての頃は毎晩パソコンとにらめっこするほど熱中していたが、今やほとんど書かなくなってしまった。たまに書くといえば人気作品の二次創作ぐらいで、あとはエッセイぐらいなものである。この通り筆はおどろくほど遅いし、もし自分がプロの文筆家であれば路頭に迷っていたであろう。

 となればあの三年間はいったい何だったのだろうか。何一つ成果を出すことなく終わってしまった高校生活に意味などない、そう思ってしまう。行動原理や意義がなければ動かぬカラダになってしまったようだ。

 先生は、全てのことに意味があるともおっしゃった。やり続けてさえいれば、いつかその意味を見出すことができると。

 

 やりたいと思ったらとにかく行動に移せ。いつかきっと意味が見いだせるはずだから、臆せず進め――これが、今回得た教訓だ。

 中川先生と話をしていると、高校卒業間際のことを思い出す。進路が決まった僕は先生の提案で卒論と称して道徳をテーマに調べものをしたり、毎日相談にのっていただいた。わずか一週間ほどのことだが、本気で考え、本気で取り組んだあの時のことが、今の僕の礎である。

 

 中川先生はいたって普通のセンセイであり、僕にとってはホンモノの先生だ。