鍋春菊のメルティング・ポット

アニメだろうが実写だろうがそれがなんであろうが面白けりゃいい!そんなハンパモンのブログ

安堵 アンド

 新年あけましておめでとうございます。約二週間ぶりの更新になります。まずは、生存報告を。

お正月はどう過ごされたでしょうか。僕はと言えば、元旦からコンサートに出かけたり、東北の実家の方へ帰ってゆったりと過ごしていました。

実家にいると、どうも何とも言えない倦怠感に襲われてしまう。おかげで帰省していた約四日間、平均十時間も眠りこけてしまった。とにかく居心地がいい。母の作る料理はこの上なく美味しいし、家の中は暖房が効いていて暖かい。食べては寝て、起きては食べ、また眠る。我が家で飼っているワンコたちでももっと運動しているだろう。ときどき、犬たちを羨ましく思う。一番上のワンコとは六年の付き合いだが、いくつになっても愛くるしい。ペットの仕事はご主人様を喜ばせることなので、愛想を振り撒いておけば、余程のことがない限り食いっぱぐれないというわけだ。ボクも犬になりたい。それとも、犬には犬で苦労があったりするんだろうか。愛犬(と僕が一方的にそう思ってる)たちに嫌われていないことを祈る。僕のことは、たまにやってくるナデナデが上手なお兄さん、くらいに思われていたら嬉しい。

要約すると、僕はとっても癒されていた。学業のことなどスカッと忘れ、怠惰に身を委ねながら。ひょっとすると、僕は現在の生活に窮屈さを感じていたのかもしれない。部屋に帰っても誰かが待ってくれているわけではないし、普段から会話を交わすことが少ない自分のことだ、余計孤独感を覚えてしまっていたのかも(かも、と書くのは見栄張りだ)
そんなわけだから、僕は家族(ワンコ含む)と結構喋った。言葉を話して、言葉を聴く。どんな些細なことでも、会話という行為に悦びを感じていた。話し相手がいるっていうのはいいもんだ。

いや、極端に言えば、何もせずただそこにいるというだけでいいのだ。安心感というのは信頼できる相手の存在を近くに認めることから生まれる気がする。テクノロジーは発達し、確かに僕らは四六時中誰かしらと繋がることができるようになった。紙とエンピツなんて用意しなくても、手元のキーボードに触れるだけで簡単にやりとりできるし、無料で延々と話し続けることだって可能だ。いい時代になったもんだ。
そんなコミュニケーションツールが出てきてなお、とりもなおさず実際に会おうとするのは何故なのだろう。一緒にご飯を食べたり、買い物をしたり、レジャーに出かけたり……生身でなければできないことはたくさんある。だが果たして理由はそれだけなのだろうか。

僕はお喋りが大好きで、誰かと食事に出向いては必ずといっていいほど喋り続ける。下らない世間話が主だが、ごく稀に、自分の心情や思想について話すこともある。指で交わす即席のコミュニケーションには適さない、自分の中で整理がつかず渦を巻いている迷いや苦しみ、痛みについてをあるがままに口にする。僕はそのことで非常に助けられた。ただ黙って聴いているだけで救われる。相手を目で見て、声を直に聴く、フェイス・トゥ・フェイスのやりとりでしか友情や愛情といったものは育まれないというのが、僕の今のところの持論だ。インターネットだけで友達を作るのは不可能だとも思っている。所詮は人間関係の維持のための穴埋めのコミュニケーションだ。人間関係は、元々はお互いが逃げ場のない一対一の状況からはじまるものであり、最初に感じていた緊張感や不安といったものは、お互いが心を開いていくうちにやがて安心感へと変わっていくのだ。

さて、長すぎる前書となってしまいましたが、今年の僕の抱負は、「聴くこと」です。僕は普段お喋りする側で、実は人の話を聴いているようで聴いていなかったりするので、相手としっかり向き合い、言葉に耳を傾けることを心掛けたい。あわよくば、「ただそこにいるだけでいい」安心感を与えることのできる人になりたいものです。

出来の悪い評論文のようになってしまいましたが、こんな僕でよければ、今年もまたお付き合いください。
これにて、新年のご挨拶とさせていただきます。